大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和28年(う)339号 判決 1953年6月11日

控訴人 被告人 小林甚寿

弁護人 宮原正行

検察官 片岡平太

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人宮原正行の控訴趣意書記載の通りであるから、これを引用する。

論旨は、原判決には事実の誤認があり、被告人は林清作に対し傷害を与えたことはないというのである。然し、原判決掲記の証拠によれば、原判示の事実を優に認定することができる。即ち右証拠によつて考察すれば、本件現場の畑は、元被告人の亡父の所有であつたところ、農地解放によつて、林敏数及び林助三郎の所有になつたことから、被告人と右林両名との間に、従来紛議を続けその耕作及び耕作物についての争を繰り返していたものであるが、本件当日も、右林敏数の父である原審相被告人林清作と被告人との間に、俺の土地だから出て行けとか、出て行かないとか口論をなし、両名が取組合の喧嘩を始め、被告人が振り上げた備中の柄が右林清作の左胸部に当つて、原判示の傷害を与えたものであることが認められる。尤も原審証人小林甚語に対する尋問調書には、弟甚寿は、その際無抵抗であつた旨の供述記載があるが、原審は、これを採用しなかつたものである。原審は、原判決挙示の証拠を採用して、判示事実を認定したもので、これについて、経験法則及び証拠法則に違反する点はない。弁護人の所論は、原審が自由な心証によつてなした証拠の取捨判断を独自の見解によつて、非難し、延いて事実の認定を攻撃するもので、採用することができない。又弁護人は、被告人の所為は正当防衛を以て論ずべきものであると主張するが、前記説示の通りの状況の下において、被告人が右林清作に対して傷害を与えたもので、正当防衛であると認めることはできない。なお弁護人は、原審公判期日において、原審弁護人がなした証人尋問の請求及び却下決定が原審公判調書に記載されていないと主張し、記録を検するにその主張のような記載のないことも所論の通りであるが、若し弁護人の主張の通りであるとすれば、所定の期間内に調書の記載の正確性について異議の申立をすることができるのであるが、記録を精査するも、そのような異議の申立があつた事跡を見出し得ないので、その主張のような訴訟手続があつたものとは認め難く、仮りに所論のような証人尋問の請求があつたとしても、原審は既に取り調べた証拠によつて、事案の認定をなすに足りるものとして、その証拠調の請求を却下したものと認められ、審理の不尽もなく、訴訟手続に違法もない。論旨はすべて採用できない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に則り、本件控訴を棄却し、当審に於て国選弁護人に支給した訴訟費用は、同法第百八十一条第一項に従い、被告人に負担させることとし、主文の通り判決する。

(裁判長判事 河野重貞 判事 高橋嘉平 判事 山口正章)

弁護人宮原正行の控訴趣意

原判決は審理を尽さず事実の誤認があるから破棄さるべきものである。

被告人が昭和二十七年十一月十八日午前六時頃稲葉郡鵜沼町北屋敷三千二十九番地の桑園内に於て林清作と口論の上、右林の左胸部を鍬の柄にて突き因つて同人の左胸部に治療約六日を要する打撲傷害を与えた事実はない。よつて被告人に対して無罪の判決あるべきものと信ずる。その理由は左の通りである。

第一、被告人が前記の日時場所に於て林清作と出合い口論をした点に関しては争がない。しかし被告人が右林清作に対し傷害を与えるような行為に出たことは全くなく、被告人は終始腕組みをして林清作並びに助三郎等の為す儘にまかせたことは、小林甚寿に対する検察事務官の供述調書、同証人尋問調書、証人小林甚語の尋問調書の通りである。

第二、イ、原審判決に於て事実認定の証拠として摘示した証拠中、証人林平四郎の尋問調書、同林助三郎の尋問調書、同林販夫の尋問調書は被告人と林清作間の口論の事実の存在は証明出来るが被告人が林清作に対し傷害を与えたと云う事実に関しては全く言及もして居らず何等証拠となるべきものでない。ロ、特に証人林助三郎は争の当事者であつて、しかも当日現場に於て林清作と共に被告人に対して暴行を加えた者であるから同人の証言は措信し難いものである。ハ、証人林販夫と証人林平四郎は約十間位の間隔で大安寺堤を北に歩いて居て現場を目撃したのであるが(林販夫尋問調書)林販夫によれば被告人と林清作は共に現場に立つて話をして居たと云い林平四郎の尋問調書によれば両者は転んで居たと云い僅か十間位を歩く間にこのような事実の相違は全く考えられないのであつて右両名の証言も又信を措くに足らない。

尚証人林平四郎は検察事務官の供述調書中「小林甚寿は普通の人とは交際の出来ない人であります」と述べ被告人に対し悪意を抱くものでその証言は信用し難いものである。

第三、同じく、証人恒川哉男の尋問調書、同人作成の診断書に関しては同人は事件発生の当日、被告人が診療並びに診断書作成方を依頼したところ「専門の外科医に診察を受けた方が良いでせう」と診察を拒絶し、しかも同人は内科小児科が専門であるにも拘らず、極めて軽微と思われる林清作の受傷に対しては十一月二十日に診察をし診断書を作成しているのであつて故らに林清作の利益のため診断書を作成したものと思われるので措信し難いものと信ずる。又、本証を以ては被告人が林清作に傷害を与えたと云う事実を立証するものは何もない。又、同尋問調書中「指圧により多少の痛みを訴える程度のものでした、又二日位以前の受傷であることは直前に負つたものであれば割合痛くないものですから認められました」と云う証言も経験則上認め難いものと信ずる。

第四、イ証人林清作の尋問調書によれば被告人が同人に対して傷害を負わせたと云うことになつている。しかし被告人が故意に傷害を買わせたかどうかは疑問となつていて被告人の犯意は証明されていない。又、右の証言は被告人の全供述と相反する。ロ、右供述調書を仔細に検討すれば、同人は、はじめ、「畑から被告人を押し出そうとしたが年寄りの私では甚寿を押し出す事が出来ず反つて私がフラついて、ころんでしまいましたので甚寿の足につかまつて立とうとした」と述べ、その後に裁判官の問に対して、「甚寿さんの前に私が行つて「出て行け」と云つたとき「何こん」と云い乍ら振り上げた「備中」の先が私の左乳のところに当りました」と述べ又、「打つたりする心算であつたかどうかは私には判りませんが」とも述べている。このことは前に押し出そうとして自分が転んだという証言と矛盾する。被告人が「備中」を持つて居て振り上げるようなことがあれば林清作が被告人を押し出そうとするようなことは出来ないことである。被告人に於て防禦をしようとするならば備中を振廻すことは当然考えらるることであるにも拘らず林清作の証言によつても被告人が備中を振廻したと云う事実はない。これを見れば被告人に林清作に対する暴行傷害の犯意は全くなく、被告人が畑を打つていた備中鍬が被告人が畑を打つために振上げた時、偶然林清作に当つたか、若しくは被告人の全供述の如く林清作が被告人より備中を引たくつた際、自己の力により或は自己の胸部に当つたものとしか考えられない。ハ、要するに被告人は始終受け身であつて暴行の意思もなく林清作等の為す儘にまかせたものである。従つて刑法第二百四条に該当する傷害の罪は不成立であつて無罪の判決あるが当然である。

第五、原審判決は証人小林甚語の証人尋問調書を証拠として摘示せず、これに対し何等の意見も述べていない。

イ、右尋問調書は本件の事実を目撃し、これを詳細に述べているのであるが、これによれば被告人は全然林清作に対して手出しをしていないのである。

ロ、本尋問調書を何故原審判決が顧みなかつたか甚だ不審とするところであるが、同人は被告人の実兄であつて且事件捜査中検察事務官の訊問に対し本件目撃事実を供述しなかつた点等より本証言を採用しなかつたのであろう。

しかし「検察事務官が訊ねなかつたから言わなかつた」と云う証言及び部落並びに弟たる被告人との関係より見た同人の心境に関する証言より見れば同人の証言こそ他の証言と比し真実を物語るものと信ずる。

ハ、原審弁護人は右証人尋問調書の信証力につき同証人が本件事実を目撃していた際、大安寺堤の本件現場附近を通過した鵜沼町の新聞配達夫外三名の証人申請を原審第三回公判期日(昭和二十八年一月三十日)に為したが右申請は却下された。しかし右四名の者が通過した事実は証人小林甚語が明かに証言したのであるが尋問調書にはこの点が脱落して居り弁護人の証人申請もまた公判調書に記載されていない。

ニ、弁護人は判決後調書を閲覧し直ちに訂正の申立を提出しようとしたが既に御庁に送付済であつたので止むなく申立を取止めたのであるが、この事実は公判立会の長谷川検察事務官並びに相被告弁護人沢登定雄弁護士に御審訊あらば明かとなることである。

第六、尚被告人は以前にも林清作等より暴行を受けた事実あり、この事実は被告人が岐阜検察庁に提出した告訴状(弁護人申請証拠)によつても明かである。被告人は如何なる点より見るも林清作に対し傷害を与えた事実はない。若し何かのことで林が傷つくようなことがあつたとしても全証拠を綜合判断するならば刑法第三十六条の正当防衛を以て論ずべきものであつて如何なる観点よりするも被告人は無罪の判決あるべきものと確信する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例